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ウクライナの天才パイロット「ジュース」、訓練中の衝突事故で死亡

  • ウクライナ空軍のパイロット、アンドリー・ピルシチコウが訓練中の衝突事故で死亡した。
  • ピルシチコウはロシアによるウクライナ侵攻が始まって以降、メディアの取材を受ける有名な存在だった。
  • ウクライナの捜査当局は事故機の整備状況や訓練の規則遵守などを調査している。
  • ウクライナのボロディミル・ゼレンスキー大統領はピルシチコウを称え、哀悼の意を表した。
  • ピルシチコウはアメリカ政府との面会を通じてF16戦闘機の供与を求める活動の牽引役だった。
  • ウクライナ侵攻が始まって間もない2022年3月のインタビューで、ピルシチコウは「ジュース」というコールサインの由来について語っていた。
  • ピルシチコウは対ロシア戦での経験を持ち、戦う態勢が整っていたと述べていた。

F16を切望していたウクライナ空軍のトップガン、訓練中に無念の死

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<コードネーム「ジュース」で知られる天才パイロットは、F16供与をアメリカに求める活動の牽引役でもあった> ウクライナ空軍の精鋭部隊「キーウの幽霊」に所属する英雄的なパイロット、アンドリー・ピルシチコウが訓練中の衝突事故で死亡した。 <レア動画>命懸けのミッション、コックピットのリアル映像 ウクライナ空軍の発表によれば、ジトーミル州で25日、L39練習機2機が訓練中に空中衝突してパイロット3人が死亡した。 ウクライナ内務省のアントン・ゲラシュチェンコ顧問は、死亡したパイロットの1人がピルシチコウだったことを認めた。ピルシチコウはロシアによるウクライナ侵攻が始まって以降、メディアの取材を何度も受ける有名な存在だった。本名よりも「ジュース」というコールサインで知られていた。 「英雄たちよ、安らかに。ウクライナにとってつらい損失だ」と、ゲラシュチェンコはソーシャルメディア「X」(元ツイッター)に投稿した。「L39は1960年代に開発された。わが軍のパイロットたちは21世紀の戦争を20世紀半ばに開発された航空機で戦おうとしているのだ。彼らの死は、個人的な悲劇というだけではなく、ウクライナの防衛システムにとっても取り返しのつかない損失だ」 ウクライナの捜査当局は、事故機の整備状況や訓練が規則に従って行われていたかどうかなどを調べている。 また、ウクライナのボロディミル・ゼレンスキー大統領は夜の国民向けビデオ演説でピルシチコウについて「わが国に大いに助けてくれた」パイロットと評し、哀悼の意を表した。 ジュースの由来 ウクライナ空軍の報道官はフェイスブックに投稿、ピルシチコウは「空軍航空学における改革の推進役」だったと述べた。 「ジュースは私に、世界の航空学や防空に関するあらゆることを話してくれ、メッセンジャーで大量のメッセージを送ってくれた。非常に細かい話をされるのだが、どういうわけか私はそれに慣れていった」 また報道官は、ピルシチコウが「ウクライナの空をF16戦闘機が飛ぶことを夢見ていた」と述べた。 「1年前にアメリカで、アンドリーはアメリカ政府当局者と面会し、空軍が緊急に何を必要としているかについて話をした。カリフォルニアのパイロットたちとも連絡を欠かさず、F16に関する多くの決断を促す活動を行ったグループの牽引役だった」 米国防省は24日、今秋にアリゾナ州でウクライナ兵向けにF16の訓練を始めると発表したばかりだった。 ウクライナ侵攻が始まって間もない2022年3月のCNNとのインタビューで、ピルシチコウは「ジュース」というコールサインの由来について語っている。アメリカを訪れた際、バーでアルコールを飲まず、ジュースばかり注文していたことから付けられたのだという。 ピルシチコウは対ロシア戦での経験も語った。 「(戦うのは)私の仕事だ。そのための訓練を受けてきた。だから私はこの戦争(で戦う)態勢も準備もできていた」と彼は述べた。「私たちは皆、戦う態勢が整っている」 ===== <レア動画>命懸けのミッション、コックピットのリアル映像 ロシアの戦闘機にはるかに劣る戦闘機で出撃し、命からがら生還したパイロット。F16を操縦する日のために英語を勉強中だという。 ===== <動画>アメリカ製ミサイルを使い始めたジュースたち ===== <動画>F16でなければ戦えないと話すジュース
ソース:https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2023/08/f16-4.php
  1. 彼はウクライナ空軍の一員であり、F16供与をアメリカに求める活動の牽引役でもありました。彼の訓練中の衝突事故での死は、ウクライナにとって大きな損失です。彼の愛称である「ジュース」は、彼がアルコールではなくジュースを好んで飲んでいたことに由来しています。彼はロシアによるウクライナ侵攻に対して戦い、その経験を語っていました。彼の死は個人的な悲劇だけでなく、ウクライナの防衛システムにとっても取り返しのつかない損失です。彼の勇気と献身に敬意を表します。

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